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反抗期という嵐がさった高校1年生と、受験という佳境に入った中学3年生の息子。
そして我が家の癒しである小学4年生の末娘。今を大切に、更新はボチボチ頑張ります[ー(長音記号2)]

ひとつずつ [経験]

ご心配をお掛けしてしまい、すいませんでした。

だいぶ気持ちは落ち着きましたが、なかなか更新することが出来ませんでした。

震災から1ヶ月が過ぎ、品薄だった商品も少ないながらも棚に並ぶようになって、
暗かった店内の照明も元に戻りつつあり、安堵感と複雑な思いでいます。。


20日ぶりに現場に入った兄からは、改めて今回の津波の高さに驚いたことや、
爆発によって飛び散った瓦礫から爆風が凄まじかったであろうことを聞きました。

坂の上まで押し流された瓦礫、建物の前に積みあがった車の山、津波は14~15m
あっただろうと推測でき、漂流物の中には20m近い重油タンクまであったそうです。

先日、東電からも原発での津波の高さについて発表がありましたが、なぜに今頃?
と思うし、津波は想定の3倍だったと言われても、無意味に感じます。

兄は福島第一原発から20㌔範囲にあるJヴィレッジに宿泊・待機し、作業に行く時は
施設から出る時点で防護服に集塵マスクを着用し向かうそうです。

そこは原発に関わる方々の拠点となっているのですが、上下水道は復旧しておらず
宿泊施設であるにも関わらず部屋は開放されず、廊下で寝泊りをしているという事実。

収束に向け頑張っている方々に対し、そんな扱いを政府も東電も容認しているなんて、
理解に苦しみます。

兄達はJヴィレッジを出て30㌔範囲でアパートを借り仕事に行くことにしたそうです。

今回の震災による待機中の補償については話も無く、末端の下請け会社である兄の
会社では今後のことを考え仕事を断るわけにもいかないというのが現状のようで。

危険な状態での作業に高額報酬どころか、そんな扱いだなんて酷い話です。

既に一部では取り上げられているようですが、知って欲しいと思いました。


でも、原発に不安を覚えた私としては停止している原発に頼ることなく電力供給できて
いるのなら、そのまま廃炉にして節電でも薄暗いままでも良いと思うわけで。。

ただ、停止している原発が多いからこそ兄達は他で仕事をすることも出来ないのです。

そんなことを考えると更新できず、相変わらず矛盾だらけで、複雑な思いなのですが…


今は私に出来る事をひとつずつ積み重ねていきたいと思います。

私には人を笑わせられるような明るい記事は書けないけれど、いつもの私の記事で
少しでも誰かの役に立つことを信じて。

また徐々に更新していきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします!





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心の闇 [経験]

震災から2週間以上過ぎました。

節電が呼びかけられる中、こうして私的な記事を書くことに抵抗を感じますが、
気持ちを整理し、自分を取り戻すために、お許し下さい。


地震当日、私の一番上の兄は福島第一原発で仕事をしていました。
建屋の外で作業をしていたそうですが、立っていることもままならない大きな揺れに
「終わった」と思ったそうです。

福島でも津波の被害は甚大で、あの状況下で原発の被害がこれですんでいるのは
こう言ってはなんだけど、「良い方」だったと。

瓦礫の中、お店を開け頑張っていたおばあちゃん、製品を無料で配布していた工場、
流通が麻痺し、物資が届かず、助けられたと聞きました。

一時は奥さんの実家があるいわき市に非難していましたが、その後、新潟の柏崎に
ある自宅に戻り、物資が届かず困っている仲間に、新潟から福島まで、ピストン輸送
したそうです。

福島が近づくにつれ、人は帽子を深々とかぶりマスク姿の人が少しだけ。
異様な光景だったと言います。

今も福島は物資が届かないのは原発や放射線を恐れ人が近づこうとしないから。

兄は柏崎の自宅で待機していますが、いづれ作業に戻るだろうと話しをしたのは
もう1週間も前になります。。


誰かがやらなければいけないことだとわかっていても、胸が締め付けられる。


なのに、自分の小ささに嫌気がさす。

押し寄せる不安と、矛盾と、憤り。

何も失ったわけじゃないのに、前に進めない自分がいる。


震災によって変わってしまった人々、早々と西日本へ非難してしまった友人。

たった2週間なのに、色々なことがありすぎて消化不良です。


そして、最近流れ出したACのCMに腹を立てる自分。


今、私にできること?

使っていない電化製品のコンセントは抜いておこう?

計画停電を機に、我が家の暖房器具は電気製品だったこともあり片付け、その後、
一家揃ってインフルBに感染した時も、暖房もつけずに頑張って、まだ足りない?

無駄な通話やメールは控えよう?

企業にメルマガ配信を停止するように徹底すれば十分じゃないの?

むやみに買い占めるのはよそう?

うちはいつもと同じ量しか買ってませんから、ガソリンスタンドにだって並んでませんから。
でも大量に買う人は、買い物に出られない方の代わりに買ってるのかもしれないでしょ?
物資が届かない人のところに送るのかもしれないでしょ?

被災地の人の気持ちになって考えてみよう?

考えました、できることはやってます、救援物資も義援金も送りました。
個人にいったいこれ以上何ができますか?


ここも被害は少ないかもしれないけれど、被災地です。

ところどころ抜け落ちた天井、薄暗い店内で商品が品薄な中、ビクビクしながら買い物
してるんですよ?

いつくるかわからないダイヤの乱れた電車で、それでも仕事に行くんですよ?

節電しろなんて言われなくても、誰もがわかってることでしょ?


このCMはいったいどの範囲で流れているんでしょう?

被災地の人がこのCMを見たら自分達のために頑張ってくれていると思えるんでしょうか?


避難生活を強いられ、物資もまともに届かず苦労されている方がいるのはわかってます。

自分が今、どれだけ有り難い生活をおくれているのかもわかってる。

でも、どうかこれ以上、追い詰めないで下さい。


現実を受け入れて、前に進まなきゃいけないのは誰だってわかってる。

だから、せめてテレビ番組やCMは震災とは関係なく、心休まるものにして下さい。

ニュースだけで十分です。



お願いします。



私のように追い詰められている人も多いと思います。

こんな時ですが、あえてマイナスな記事を書いたのは気付いて欲しいと思ったから。



ごめんなさい。


いつもの私に戻れるまで時間を下さい。



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笑顔を! [経験]


「こころ」はだれにも見えないけれど

「こころづかい」は見える

「思い」は見えないけれど

「思いやり」はだれにでも見える



あたたかいこころも、やさしい思いも

おこないになって、はじめて見える。


その気持ちをカタチに。


宮澤章二さんの詩「行為の意味」より


AC(旧公共広告機構)のCMで流れているのでご存知の方も多いと思いますが。



今、置かれている状況は人それぞれ違うし、大変さは比べものにならないと思います。

でも、不安なのは誰でも同じはず。


こんな時だからこそ、

目に見えるこころづかいを。

人に思いやりを。

ありがとうの気持ちを。



たくさんの笑顔が増えますように。





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いまできること [経験]

3月11日、14:46分頃発生した「東北地方太平洋沖地震」

時間経過と共に拡大する被害状況、あまりにも多すぎる犠牲に胸が痛いです。

亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災された方々へは心よりお見舞い申し上げます。
一人でも多くの方が救助され、1日も早い復興を願うばかりです。


私が住む横浜でも激しい揺れがありました。

円を描くような気持ちの悪い揺れは、物が落ちたりということはありませんでしたが、水槽の水が
飛び出し、自然と窓が開いていき、長い揺れに末娘と次男の肩をかかえ足が竦む思いでした。

この日は次男は学校を休んでおり、揺れが落ち着き、帰宅時間になっても帰らない長男を心配し
迎えに出たところ、また大きな揺れが。
既に不安から外に出ていた方々と一緒に、遠くであがる黒煙と聞こえるサイレンに不安がつのり、
動けずにいたところ、学校からの緊急メールが届きました。

既に携帯は通話もメールも不通だったのですが、運よく届いたメールでその場にいたお母さんと
一緒に長男を迎えに行くことが出来ましたが、メールが届かず慌てて迎えに行った方もいました。
その時は長男のことだけで頭がいっぱいでしたが、迎えを待ち不安そうなお友達を残し、学校も
同居の親族以外には引き渡しできませんと断られ、声をかければよかったと、悔やまれました。

帰宅してからはいつ余震がくるかもしれないし、ライフラインが止まるかもしれないと夕飯の支度
を急ぎ子供達に早めにご飯を食べさせるのが精一杯で、ニュースから流れる被害を目の当りに、
どうしたらいいのか、頭が回らないまま一度だけ通じた電話で帰るとい言った夫を心配しながら
待つことしか出来ませんでした。

各地で停電し信号も消え、道路は大渋滞、お店は閉まり電車も止まり帰宅できない方が多数。
徒歩で家を目指す人で道はごったがえし、水道管が破裂したのか道路が冠水しているところも
あったと、無事帰宅できた夫から聞きました。

その日の夜は余震と緊急メールに何度も飛び起きながら、無事に朝をむかえたことに安堵し、
通じるようになった電話でやっと家族の安否を確認をしました。

それからはライフライン(電気・ガス・水道)が止まっても少しでも困らぬよう冷蔵庫の生鮮食品の
下ごしらえと、食事の作り置きを続け、一日中台所に立っていました。

そして地震から2日経った今日はいつもの週末のようにスーパーに足りないものを買いに行くこと
にしたのですが、水漏れにより開いていない店舗や、陳列棚が危険なのか通れなくしていたり、
またお店は節電の為か暗く、棚はあいている箇所が目立ち、レジには長い列が…

改めて地震があったことを実感したのですが、非常食を買い溜めする方も多く見られ、そんなに
買わなくてもと内心思ってしまいました。

被災地から離れている私達が出来ることは、流通が止まることを恐れ必要以上に買い溜めする
ことではなくて、必要最低限で生活することだと思うんです。


電気ガス水道は節約に努め、大切な食料は無駄なく食べきること。

そして、もしもの時はご近所同士で声をかけ合うこと。


今回の地震で身をもって感じたことです。


小さなことでも、いまこそ、ひとりひとりが出来ることを。




追記

東京電力の計画停電が決まりました。
今は想定されるエリアの発表のみで詳細はわかっていませんが、混乱が避けられますように。


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前厄・厄年・後厄 [経験]

私にとって後厄にあたるこの一年。

前厄厄年、色々とありましたが、今年も本当に色々とありました。

年明け早々、栃木から帰宅すると40度を超える熱を出し突発性発疹になった末娘。
1月末には栃木の父が手の甲に出来た癌(老人性角化腫)で手術して間もなく、
母が庭で転倒し左手首を骨折、二人揃って左手が使えなくなり慌しい日々が過ぎました。

骨折といえば、夏休み早々長男が左肘を骨折
momomo家では呪われた左腕でした[爆弾]

長男は骨折はするし、メガネは免れてるけど近視になるし、[バッド(下向き矢印)]
次男は小学校に入学してすぐりんご病になり、まさかのとびひ、生意気盛りで中間反抗期だし[どんっ(衝撃)]
末娘はMR予防接種で副反応らしき症状があらわれるし[あせあせ(飛び散る汗)]
夫は修飾麻疹疑惑に、10月には下血して急性腸炎になるし[たらーっ(汗)]
私は末娘に携帯を水没させられるし、春に虫歯が進行して歯科に通うことになるし[ふらふら]

医療費控除できるほどじゃないけど、すごい医療費が嵩んだ年だった[もうやだ~(悲しい顔)]

そして4月に喧嘩の種にもなった夫の昇級試験、SPIの勉強もしないといけないと言いながら、
結局は何もしないまま試験を受けたわけですが、1次試験通過、2次試験も合格し、あえなく昇級。

これは会社から私宛てに贈られてきた夫の昇級を祝った無駄に豪華な花[かわいい]
暑い時期だったのであっという間に枯れてしまいましたが…
実際は昇級という名目の減給。
月給から年俸制にかわり、残業してもしなくっても毎月決まったお給料[むかっ(怒り)]

夫は中間管理職になり塞込むようなことが増えるし[バッド(下向き矢印)]
喜ばしいはずがちっとも嬉しくない出来事でした[ちっ(怒った顔)]


そうそう!昇級といえば長男、泳げるけどフォームが悪いらしく半年も7級(クロール13m)に停滞、
奇しくも骨折直前に昇級し、復活後には25メートル完泳、今は5級(クロール&背泳ぎ50メートル)
に挑戦中。あんなに辞めたいと言っていたのがパタリと言わなくなりました[わーい(嬉しい顔)]

それから次男、実はずっと自転車に乗れず[バッド(下向き矢印)]
自ら補助輪を取ると言い出したのは年長の春、なのに一向に乗れず放置すること1年半。
7歳の誕生日を過ぎ、やっと乗れるようになりました[ぴかぴか(新しい)]
今思えば左利きでありながら右利きな次男だからこそ苦労したのではないかと思います。
中途半端に両利きなもんだから踏み出す足が定まらず、右にフラフラ左にフラフラ。
当然ながら乗り降りも定まらなかったわけですが、スタンドロックは右利き用に左側に有る!
つくづく世の中って右利きに作られているんだなぁって再確認した出来事でもありました[ー(長音記号2)]

そして末娘、最近では風邪をひいても嘔吐することも減り元気だし、パンツになりました[かわいい]

嫌なこともたくさんあったけど、良いこともたくさんありました[ひらめき]


来年は夫の前厄にあたり、またもや慌しい一年になりそうだけど[あせあせ(飛び散る汗)]

こうして振返ることが出来るのもブログのおかげかな。


最後になりましたが、いつも私のブログに遊びに来て下さる方々には、ありがとうございます[黒ハート]
こんなブログですが、来年もよろしくお願いしますm(_ _)m


それでは、皆様が良いお年をお迎えくださいますよう心よりお祈り申し上げます[ぴかぴか(新しい)]

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くうねるあそぶ-遊ぶ- [経験]

さて、最後に一番難しい「遊び」について。
あくまでも私なりの考えであって、少々長くなりますがお付き合い頂ける方はどうぞ。。


と、まずはじめに「学び」について考えてみたいと思います。

巷には色々な「学び」がありますが、胎教から始まり、早期教育の教材やら教室が多数。
少子化とは相反して、少子化だからこそか?親の心理をついた勧誘がたくさんあります。

私も長男が生まれ、某教材を1歳児向けコースから2年ほどとっていましたが、あまりにも
遊ばない玩具やワークが溜まる一方だったので、他社のドリルだけを2社ほど1年づつ。
他にも英語教材を1年ほど試しました。

でも、我が子に教えるのは難しい[どんっ(衝撃)]

しかも、子供が二人となると教える内容も違うし、個別に時間を確保することも間々ならず、
在宅学習は私には無理だと、4年目にようやく気付きやめました[ふらふら]

5~6歳の時期、長男が年長さんになってからの1年は教材はとりませんでした。

小学生になったら考えようと思いましたが、息子達が通う小学校は宿題が多かったので、
それ以上に勉強をさせようという気にはならず、今も特に教材はとっていませんが、

時々長男は宿題をやりたがらず、プリントの間違いを指摘すると「ほっといて」と言う始末。

「ほっておいてやるよ、お前の面倒は見ない、うちの子じゃなくていいから出て行け[むかっ(怒り)]

となるわけですが、その度に思うんです。

私が勉強をみることは子供にとって逆効果なだけなのかと。


そもそも何のために勉強するのか?

もちろん、少しでも就職に有利なように少しでも良い学校へ進学して欲しいと思うわけです。
なんだかんだ言っても、まだまだ学歴社会。

私自身高卒なので、大卒の方との扱いの違いに悔しい思いをしました。

でも、子供が学校の範囲で学び、中学、高校を目指す時に将来を考え学力が必要だと感じ
自らが学びたいと思ってからでも遅くないんじゃないかって。

もちろん、子供は勉強よりも遊ぶ方が良いでしょうから、勉強をさせるからには動機付けや
親のサポートが必要だと思います。

でも、それまでに必要なことは、思う存分遊ぶこと。

大人が介入しないところで友達と遊ぶことで社会性を学び、課題を与えられないことで
自ら考える力が育つと思うんです。

遊びの中から達成感を得たり、失敗から工夫することを学んだり、体を動かすことでバランスや
身をもって危険を感じ、怪我から痛みを知ると思うんです。

お友達と喧嘩したり、何か問題が発生した時に解決する力が必要だったり。

幼稚園児くらいだと一緒に遊んでいるように見えても各々が好きな玩具で遊んでいるだけとか
まだ親や保育者の目の届く範囲で何をして遊ぼうと提案され夢中になることはあっても、自ら
考え、仲間とうまくやっていく力は弱いと感じます。

だから「外遊び」が大事で、繰り返し遊ぶことで知識と共に考える力が養われていく。

遊びから学ぶ

小学生になると親が公園へついていくわけではないですから、友達と何をして遊ぼうとか、
「遊び力」がどれだけあるかが試されるわけです。

息子達も6~7歳くらいまでは「つまんないから帰ってきた」と言うことも多かったですが、
最近は出て行ったら暗くなるまで帰ってきません。

遊びに尽きることなく友達とうまくやっていると思えば嬉しい限りです[かわいい]

お友達と遊ぶ貴重な時間は限られているから、我が家の優先順位は外遊び>宿題。

だって幼稚園の頃と違って小学生になると机に座らされている時間の方が長いわけです。
学校で勉強して、帰っても勉強だったら、それは仕事から帰った夫に仕事しろって言うのと
同じだと思いませんか?

私は 生きる力 = 遊ぶ力 だと思うんです。

良い学校へ行くことも、良い会社に就職することもゴールでは無い。

社会に出て、学歴があっても「できない人」になるなら、学歴がなくても「できる人」であって
欲しい。でも、その違いは遊びの中からそなわる考える力だと思うんです。

そして人生を楽しむ力も、小さい頃から養われるであろう遊ぶ力だと思うんです。

目先の早期教育にはしりがちですが、それは子供にとって今必要な勉強なのか。
実は親の満足の為だったりしませんか?

今は学校できちんと勉強してくれれば、後は遊びで良いと思っています。
遊びが充実していれば学校でも授業をきちんと受けることが出来ると思うから。

貴重な小学校低学年の間は思いっきり遊んで欲しい。

「9歳の壁」と絶対学力 いきいきニコラ子供の教育より
 http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/9sainokabe.html

糸山泰造著「絶対学力」は読みましたが、高濱正伸著「算数脳」と同様の内容だったかと。
私の中では特に心に響くことはなく、本を持っていないのでうろ覚えですが[あせあせ(飛び散る汗)]
でも、こちらで書かれていることには共感できます。

いきいきニコラ 子供の教育 http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/index.html


と、これは小学生の息子達の話。

末娘に関しては、今は全てが遊びであり学びです。

家には息子達の教材や玩具がたんまりとありますが、某教材のビデオは見せていません。
今は必要の無いものだとわかるから。

洗脳するかのごとくビデオで教わらなくても日常体験で覚えれば良い事なんです。

そのためにはやっぱり「外遊び」が大事[exclamation×2]

公園に行けば自分より小さい子も大きい子もいるし、順番を守ること、玩具を貸したり借りたり。
時には手を出されたり、出してもダメだと教えることができる。
色々な子がいることを知り、苦手な子はうまく避ける術を学ぶこともできる。

ママ同士の付き合いも考え方が同じ人ばかりではないので正直疲れます。

でも、人は一人では生きていけないように、いくつになっても人間関係はつきものなわけで、
だからこそ小さいうちから色々な人と出会い世渡り上手になって欲しいと思うわけです。

「遊び」を考えた時、そこには必ず「学び」があるんです[かわいい]

でもテレビやビデオを見ること、ゲーム機で遊ぶことは「遊び」にはならない。

もちろん、得るものが何も無いわけではありませんが、外遊びから得られるもの以上のことは
得られないと思っています。

百聞は一見にしかず、五感をフルに使って、身をもって感じることが大事だと。


なんて、偉そうなことは言えず息子達はゲーム大好きだし、2歳児コースから卒園するまで
幼児教室にも通っていました。

末娘も1歳時コースから通っていますが、この教室は遊びから学ぶスタイルで楽しみながら
学ぶことが出来ているから。

遊びから学ぶ

週1回の教室でしたが、息子達は入学前には五十音に一桁の計算は問題なくできました。

もちろん、教室での成果もありますが、家でも遊びに組み入れる工夫をしました。

小学校入学までは教材なんかに頼らなくても、日々の生活の中できちんと子供と向き合い
遊んでいれば自然と身につくことばかりだと、今はわかります。

そして、外遊びだけすればよいわけではなくて、バックグランドにあるのは「親の愛」だと。

自分を受け入れてくれる、愛されていると思うからこそ、子供は自分を信じて親元を離れられ
自分の世界をつくっていくことができるんだと思えるようになりました。

一緒に遊び、一緒に学ぶ。

「外遊び」も大事だし、「親子で遊ぶ」ことから得られるであろう絆も大事。


だから「遊び」も大事なんです。


と、ここまで書きましたが、自信も説得力もありません。

私自身、まだまだ「学び」の途中だし、子供達も「遊び」の途中であって、わからないから。

「食べること」「寝ること」に関しては身をもって感じているし、成果を感じることも出来ますが、
「遊ぶこと」に関しては終わりはないと思うんです。

子供達が自立した後、夫の定年後、自分の遊び力が試される時でもあるし、子供たちが
人生を楽しめる人に育っているかは今はわからないから。

でも、思い切り遊べばお腹が空くし、ご飯が美味しく食べられて、よく眠れるのは確か[exclamation]


くうねるあそぶ


生きていくうえで大切なこと。


今回、遊びについての記事を書くにあたって、何度も加筆修正を繰り返しました。

あくまでも私の考えであって、思うことがうまく伝えられているかどうかわかりませんが。。


今の私があるのは、ダメだと言わず何でもやらせてくれ、見守ってくれた母の愛と
おいしい手料理のおかげだと思っています。




あえてコメントとniceをあけてみようと思いました。

もしかしたら今までに読んだ育児本の受け売りになっているかもしれないし、当たり前のことを、
と言われれば、それで良いと思います。もし間違っていると思うなら率直にコメントを頂きたいし。

でも、捉え方によってはヘビーな内容なのでコメントを望んでいるわけではありません。

ただ、自分が育った次代より明らかに遊ぶ時間も場所も奪われている子供達。
本当の意味での遊びの大切さを少しでも多くの人に考えて欲しいと思うから見て欲しい。

一般主婦の意見で世の中が変わるとは思えないけど、

少しでも子供たちが安心して自由に遊べる場が増えて欲しいと思うから。


私が子供達にできること。


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くうねるあそぶ-寝る- [経験]

もう何を今更って声も聞こえてきそうですが、恥を忍んで寝ることについての経験談を少し。

その昔、11ヶ月から1歳6ヶ月まで保育園に通っていた長男。
7時には起きて8時半には保育園へ通っていたわけですから規則正しく過ごしていました。

が、次男が生まれた頃から仕事が忙しくなりだした夫。

帰宅は22時なら早いほう、午前様が当たり前のような生活でした。(今は違いますが)

自我が芽生えイヤイヤが始まる1歳半、生まれて間もない次男を抱え、夫は常に不在。
実家に頼れない私は徐々に生活リズムがズレていきました。

一番酷い時には子供は9時過ぎに起きて10時に朝ごはん、公園に行き14時に昼ご飯、
15時から18時頃までガッツリ昼寝をして夕飯は20時、そして寝るのは0時近く。

朝は寝ていてくれると家事が出来たし、昼寝というより夕寝とも言える時間で夕飯の支度。
といっても帰宅が遅い夫は家で食事することは無かったので常に「子食」。
少しでも遅くまで起きていれば夫とも顔を合わせ子供の相手をしてもらえるのでラクでした。

夜寝るのが遅いから朝は当然起きるのが遅く、昼寝の時間も長い。
昼寝の時間が長いから夜は寝付けず遅くまで起きている。


まさに悪循環[どんっ(衝撃)]


こんな生活を半年以上していたでしょうか。。


当時は長男のイヤイヤが激しく、初めての子育てで何がなんだかわからない私は、

2歳前後の子供に正論を並べ、言い聞かせようと必死でした。

外遊びで汚れた服を着替えようと言っても嫌がり、汚いからと力ずくで着替えさせたり…
今思うと本当にヒドイ母でした。

長男は大好きなお気に入りの服を着替えたくないだけだったんです。

洗濯してまた着ようねって納得するまで待ってあげるなんてこと考えも及ばなかった。


でも、長男のイヤイヤを助長させていたのは不規則な生活が原因だったように思います。


その後、自治会の子育てサークルで睡眠の重要性を知り、生活を改めました。

子どもの早起きをすすめる会 http://www.hayaoki.jp/gakumon/gakumon.cfm

全日本民医連のHPから「子供の睡眠不足はなぜ悪い」
http://www.min-iren.gr.jp/syuppan/genki/191/genki191-04.html#00

遅くても8時には起きて9時には寝る生活。
慣れた頃には昼寝もしなくなり夜の7時には寝るように。

夕方の4時にはお風呂に入り、5時には夕飯を食べる生活。

やれば出来るんだと、自分で自分を褒めながら頑張りました。

ひとり育児は大変で夫の存在は無く、子供達は朝起きて「また来てね」と言う始末でしたが、
あの時に気付かずに夜更かしを続けていたらどうなっていたんだろうと思います。。

やっぱりトータル的な睡眠時間は同じでも、質の良い眠りとは違うんでしょうね。

長男のイヤイヤも気にならないほどに減っていました。

それはたまたまで、次男が生まれ家族が増えたことに慣れたのか、成長の過程だったのか。

でも私自身も怒ってばかりでカルシウムが足りないんじゃないかと悩むほどだったのが、
寝る時間帯が変わってイライラしなくなったように思います。

母のイライラは子供にも伝わるように、当時は全てが悪循環だったとも思いますが。


睡眠は1日や1週間で変わるようなことではないし、目に見えて何があるわけではなくて、

振り返ってみれば…なんですが、やっぱり寝ることって大事なんだって感じました。


寝る子は育つ


22時~深夜2時の間は成長ホルモンが多く分泌される時間で疲労回復やお肌にも良いと。
なので、私は子供を寝かしつける時に一緒に寝て、朝早く起きるようにしています。

単につられて寝ちゃうだけとも言いますが、肌年齢の差が出てくるお年頃ですからね~(笑)


でも、悩みがあったり疲労度が高いと寝付けないように、寝ることも簡単ではありません。
子供だって寝なさいって言っても眠くないと寝付けずに起きてますよね。

だから気持ちをリフレッシュすること、体を動かすこと、遊びも大事なんです。



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くうねるあそぶ-食う- [経験]

momomo37歳、母になってまだ8年ちょっと。

教育評論家でも脳科学者でも何でもありませんが、思うことがあります。


それは「食べること、寝ること、遊ぶこと」の重要性[exclamation×2]


説得力も何もありませんが、私の経験から感じたことを3連続でおおくりしたいと思います[かわいい]


まずは「食べる」ことの大切さ

私が「花粉症」を発症したのは23歳の時。もうすぐ15年来の付き合いになります。

排気と花粉の多い地域で一人暮らしをはじめたことがきっかけだと思いますが、一番の原因は
まともな食生活をおくっていなかったからだと思います。

そして子供達、夫不在が多かった我が家は少し前まで「子食」でした。

作っても食べてくれないのなら子供が食べてくれるものだけを作ればよいと、季節を無視し、
夏でも大根、冬でもきゅうり、食卓にならぶ野菜は決まっていて、

それでも食べないよりは「マシ」と思っていました。

子供の相手をしながら食事を作る余裕がないというのを言い訳に、一汁一菜といった食卓。
子供が食べてくれるものだけを作る方が私もストレスにならずに済んだから。


そんな一汁一菜ですらままならず、食事の手を抜くと、子供達は決まって風邪をひく。


そう気付いてからは食事作りも頑張るようにしていましたが、

好き嫌いの多かった長男が小学校に入り給食は残さないと聞いたとき、ショックでした[ふらふら]

母は給食に負けたんです[たらーっ(汗)]

もちろん、お友達と食べるという雰囲気などもあると思いますが。。

それからは季節にあった食材で子供達が食べてくれないような野菜も食卓に出すように。

長男は何でも美味しいと食べてくれるようになり、なかなか食べなかった次男も手をつける
ようになってくれました。

もちろん、成長したからというのもあると思います。

でも、季節にあった旬の素材を頂くことで、美味しさに気付いたんだと思います。


何より、私自身も体調が良くなり、花粉症がビックリするくらい軽減されました。


毎日の食事作りは大変だし、分かっていても手を抜いてしまうこともあります。

でも、できることからはじめることが大事。


まず、加工食品を買う時は裏書きを見る。

私は今までどれほどの添加物をとってきたんだろうとゾッとします。

おにぎりのご飯にすら添加物が使われているような時代なんて、ビックリ[どんっ(衝撃)]

トコトンハテナ「添加物はどれだけ入っている?」
前編 http://www.tv-tokyo.co.jp/tokoton/backnum/backnumber_80.html
後編 http://www.tv-tokyo.co.jp/tokoton/backnum/backnumber_81.html
(この番組は見てませんが、お弁当卸し業で働く母に「ご飯にも添加物を入れるようになった」と聞き調べた時に見つけました)

実はあるメーカーのカップうどんを食べると気持ち悪くなるんです。
気付いていても好きだから食べてましたが、自分には合わないんだと認め食べるのをやめました。

子供達、冬に体を痒がることがあったんですけど、乾燥しているからと思っていましたが、朝食に
あるメーカーのウィンナーを食べることをやめたら痒がることがなくなりました。

自分の体に合うか合わないか、気付くこと、気付いたら認めること、認めたら行動に移すこと


そして、なるべく良い素材を選ぶこと。

同じ野菜でも栄養価が違うって知ってますか?

以前、幼稚園の協会報で紹介されていた内容と同様のことが紹介されています。
「食卓の向こう側にみえるもの」 JAおちいまばり http://www.islands.ne.jp/ochiima/shokutaku/index.html

食べたものが自分の体になると思ったら、安価な食材を選ぶことが出来なくなります。


最後は、ほんの少しの工夫。

子供って食わず嫌いが多いですが、食べやすいように野菜を小さく切っただけでも違ったりします。
味付けだって、ブロッコリーを茹でるときに塩加減を増やしただけで食べてくれるようになりました。

些細なことでも、幼児には大事なんですよね。



それでも疲れているときは手を抜きます。


でも、翌朝起きて鼻水が出ると、あぁ手を抜いたからだとわかるようになりました。

長男は私と同じで鼻にくるタイプ、朝起きてきて鼻が詰まってると言われたらドキッ。
次男は皮膚にくるタイプ、発疹も何もないのに痒い~と言われるとドキッ。

食が皮膚にあらわれるか、鼻炎にあらわれるか、症状は人それぞれだと思いますが、
体からのSOSが、体調と食にも関連性があると気付くと思います。


食の重要性、身をもって感じたからこそ、もっと多くの人にも気付いて欲しいと思うのです。


胃袋はハートに通ず[揺れるハート]


いつの頃からか、息子達が毎日言うようになったこと、「今日のごはん何?」。

やっぱり、手作りに勝るものはないです[かわいい]

子供達が大人になっても「母の味が一番」って言ってもらえるよう、食事作りを頑張りたいです。



それでも、症状が出た時は疲れていたり、ストレスだったりと気付くこともあります。

だから「食」だけではなくて、寝ることも遊ぶことも大事なんです。




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mushi no shirase [経験]

近くに住んでいるのに、お正月に会ったきりの2番目の兄に、明日は母の日だよと[メール]すると、

電話があって、父と母ももうとしだし、なんて昔のこととかを思い出しながら、そういえば
伯父さんにも世話になったよねと、めずらしく1時間近く話をした。



その翌日、伯父さんが亡くなったと連絡が入った。。。



母とは20歳も離れている伯父。

母の父、私たちにとっての祖父は2番目の兄が産まれる前に亡くなっていて、伯父は
祖父のような存在だった。

きっと、俺はもういなくなるから、あとはしっかり頼むぞって伝えたかったんだと思うと、
涙が止まらなくなった。


最後に会ったのは、もう7年以上前、母のお母さん、祖母が亡くなった時だった。



今年の夏こそ、子供達も連れ、父と母と帰ろうと思っていたのに。。。




最期に会いに行きたかった。

でも、母の実家は本州最北端の大間。

函館まで飛行機で行って、その後フェリーに乗るか、最北の駅、下北まで行ってバスで1時間以上。

最短の函館まわりでも片道5時間以上、フェリーは朝と夕方のみ。
電車で行くと5時間以上、さらにバスの乗車時間も含めると7時間。

夫は私と末娘だけでも行ってきたらと言ってくれたけど、そんな長時間連れ歩く自信が無かった。



ごめんね、伯父ちゃん、夏は絶対帰るからね。





私の実家はお世辞にも仲の良い家族とは言えない。

傲慢な父は脳溢血で倒れてからはだいぶ丸くなったけど、基本的にはかわらない。

そんな父が嫌で実家によりつこうとしなかった私と兄。


でも、変ろうと思った。



自分から父を好きになろうと思った。

そうしたら、きっと父も私達をかわいいと思ってくれるようになるんじゃないかと。

母にまかせっきりの父の世話も、苦労も減らしてあげられるんじゃないかと。


周りが、相手が変ることを待っていても、いつになるかわからないし、
あとどれくらいの時間が残されているのかもわからない。

でも、最期は安らかな気持ちで迎えたいし、送りたい。


変ってくれないなら、自分から変らないと。


表面上だけ取り繕ったギクシャクした家族じゃなくて、支えあえる家族に。



今度こそ、変ろりたいと思う。





奇しくも、今朝やっと咲いた胡蝶蘭。


この機会を、無駄にしないからね。

心配しないで安らかに眠ってね。



いままで、ありがとう。

いっぱいありがとう。

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専業主婦の落とし穴 [経験]

桜咲く、4月。新年度の始まり[ぴかぴか(新しい)]


でも、この時期が一番落ちやすい。

専業主婦ならきっと誰もが一度は落ちるであろう、穴。


○○君のママ、○○さん、子供のママとして、夫の姓で呼ばれることにも慣れたと思っていたけど、
このところハードスケジュールで疲労困憊、ストレスがmaxだったところに、昨日は夫の言動で
久々にブチ切れてしまいました。


4月3日、やっと次男の入学準備品を揃え終わり、
4日、お花見と伯母の見舞いを兼ねて電車で吉祥寺まで行き、井の頭公園へ。

5日は生憎の雨の中、次男の入学式。

翌日からは次男の見送りにお迎え、サボっていた名前付けに、山のようなプリントに目を通し。

ひたすら子供の名前を書き続け、提出物にも子供の名前と保護者名に夫の名前。
唯一私の名前を書く時は緊急連絡者やPTA会員名。

なんだかなぁと思いながらも、明日からは給食も始まるし、提出物も持ち物も一段落[かわいい]

と思っていたところに20時頃やっと夫が帰宅[人影]

5月に中国に出張に行くかもしれない、パスポートを作るのに(本籍が栃木なので)戸籍謄本を
とりに明日は○○工場に行く用事を作ったから午後半で実家に顔をだしてくる。
中国はもしかしたら一人で行くことになるかも、嫌だなぁ…
10日(土)は昇級試験で、昇級すると面倒だしなぁ…って、終始テンション低っ[バッド(下向き矢印)]


どうせパスポートをとるなら家族でどこか行きたいね[グッド(上向き矢印)]
昇級が嫌なら試験受けなければいいじゃん[exclamation]

と言っても連れない返事[どんっ(衝撃)]

思わずブチ切れてしまいました[ちっ(怒った顔)]

実は夫のお母さんが1月に左手首を骨折、同じ時期にお父さんが手の甲に出来た癌を手術したりと
大変だったのですが、いまではギブスもとれてだいぶ良くなったと。。

家の近くに謄本がとれる出張所があるんだから、それくらい頼めばいいんじゃないの?
仕事が忙しいって言ってるわりにはそんな簡単に用事を作って○○工場に行けて、半休出来るんだ。

仕事が嫌?昇級が嫌?

だったら辞めればいいじゃん[むかっ(怒り)]

いくらでも私が代わりに働いてあげるよ[パンチ]


あなたがストレスで蕁麻疹が出るほど追い込まれてるのもわかるけど、
私からしてみれば、中国に出張できることも、昇級試験を受けられることも羨ましいよ。

毎日家にいることがどれだけ嫌か、何度も言ったよね?


思わず涙が出てしまいました。

毎日家にいて、朝から晩まで同じことの繰り返し。
自分の存在価値が、子供の成長でしか感じられない日々。

そんな思いが一番強かった時期、ちょうど長男が3歳になる頃だったかなぁ。
子供番組で流れていた曲。

YouTube「いっしょにつくったら」 http://www.youtube.com/watch?v=prO1aRkCvEI


この歌は、

僕は「かたち」、どんなものにでもなれるんだ、でも「かたち」だけじゃ僕のことりは動かない、
私は「いろ」、とってもきれいでステキでしょ、でも「いろ」だけじゃ私が誰だかわからない、

「かたち」と「いろ」がであって、世界中が動き出すという歌なんですけど、


私が誰だかわからないって、当時はずっと頭の中をめぐっていました。


でも、夫や子供たちが「かたち」で私が「色」。

お互いの存在があってこそ。


そうわかってはいるんですけど、自分を見失う時があります。


昨日は「私も疲れてるから今はあなたを思いやれるほど余裕が無いよ」と吐き捨て不貞寝。
今朝は夫からゴメンと謝ってくれましたが、早々に出かけてしまいました。



専業主婦に限らず、主婦なら誰もが落ちる穴かもしれません。

毎日の家事に追われ、同じことの繰り返し。
子供の母親としてだけで、自分の存在がわからなくなる。


まるで落とし穴にでも落ちて、誰にも気づいてもらえないような、そんな感じ。

一度落ちたら自分で這い上がるか、誰かが気づいて救い出してくれるか。



私は皆さんのところを一回りして、思っていることを吐き出したらスッキリしました[わーい(嬉しい顔)]

今はブログの中も私の大切な居場所、何度となく救われています。ありがとう[黒ハート]
何かを悟ったのか、腕の中で寝ていてくれた末娘にもありがとう[ハートたち(複数ハート)]


私のように穴に落ちている方はいませんか?

這い上がれなかったら、見つけてもらえなかったら、

「私はここにいまーす!」って叫ぶことも時には必要ですよ。




ちなみに、去年は出産したばかりで落ちる暇もありませんでしたが、一昨年も落ちてます

成長してないなぁ[あせあせ(飛び散る汗)]


でも復活は早かったから少しは進歩?
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9回目の結婚記念日 [経験]

3月10日は9回目の結婚記念日でした[ぴかぴか(新しい)]


最近の夫は仕事が忙しく、たぶん当日も早くは帰って来れない…と話していたのですが、
前日の9日、東京国際フォーラムでセミナーだったからと比較的早く帰宅しました。


そう、東京国際フォーラムには以前行った「相田みつを美術館」が入ってます。

売店はフリーで立ち寄ることが出来るらしく、お土産を買ってきてくれました。


201003121.JPG「ありがとう」のハンコ。

これを見た私は、
センス、[どんっ(衝撃)]

「なんでハンコなの?
 もっと、私が好きそうな詩のポストカードとかさぁ」

と思わず言ってしまいました[あせあせ(飛び散る汗)]


でも、改めて

夫も「ありがとう」って思ってるんだ。と気づいたんです。
(たぶん夫は私のブログの存在は知っていても、読んではいないはず)


ハンコと一緒にクローバーも。


きっと色々あったであろう中からこれを選んだのは


幸せになりたいと思ったのか、

幸せだと思ってくれたのか。




夫婦って、なんだろうなぁ?と思うことがあります。

夫と知り合って15年、私が家を出て一人暮らしを始めたのは23歳の時。


そして結婚して9年。


私を育ててくれたのは両親だけど、両親と過ごした時間より長く過ごすことになるであろう夫。

同じように感じ、同じように思ってくれる。


きっと、この先も同じ気持ちでいられれば、ずっと一緒にいられるのかなぁと思いました。


相手を思いやり、たとえ相手と同じ気持ちになれなくても、相手に寄り添えること。

どこまで寄り添うことができるか。



夫婦って、そういうものなのかなぁと思いました。




そして、子供たちにもステキな人と出会って欲しいと思った一日でした。




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自分の目線 [経験]

先日、24時間テレビがありましたね。

子供がいては落ち着いて見ることもできませんでしたが、


世の中を知る、と言ったら大げさかもしれませんが、
誰もが自分の目線を変える「きっかけ」になれば良いのになぁと思います。


このことを記事にするのは、ちょっと迷ったのですが、
ちゅーこさんのブログを読んで、
皆が少しでも目線を変えてくれればと思って、私なりの気持ちを書きました。




私には全盲の友人がいます。


出会いは、10年前くらいでしょうか。

まだ働いていた頃、いつも同じ駅、同じ場所から乗り、同じ駅で降りる盲目の女性がいました。


それまで私はボランティア等には一切携ったこともなく、どう接するべきかも知らず。
よく見かけるなぁくらいに思っていました。


ある日、電車が乗り位置から大幅にズレ、声をかけました。

一緒に乗車し、いつも同じ駅を利用していることを話し。

それからは見かけると声をかけるようになりました。


いつ見ても、不思議なくらい(と言ったら失礼なのですが)、オシャレで
目が見えないのに、どうやって服を選んだりしているんだろう?と思っていました。

私よりは10歳くらい年上なのですが、すっかり仲良くなり、
一緒にショッピングをしたり、ご自宅に招いて頂くようになりました。


そして、初めてご自宅に招待された時は、またまた驚きました。

きちんと片付けられ、玄関には花が飾られ、火を使ってお料理をする。


本当に目が見えないとは、感じさせられませんでした。


どこか、やはり偏見のようなものがあった自分を恥ずかしく思いました。



そんな彼女のパートナーも全盲の男性です。

彼女は生まれつきの盲目だそうですが、その方は大学の時に病気で視力を失ったと聞きました。


生まれつき盲目の彼女にしてみると、彼はハンデが大きいと言いますが、
私からすれば、二人とも盲目を苦ともせず、普通に生活しています。


実際、子供たちを連れて何度かお邪魔していますが、子供たちは彼女たちが見えないことに


気づいていません。


子供たちに見えないことを話すべきなのか、まだ悩んでいるのですが、
そろそろ物事がわかる年齢になってきたので、話をしようかとも思っています。



私は彼女に出会い、街中の点字、点字ブロックの重要性を知りました。

盲目の方を見かけても、声をかけることができない方も多いかと思います。


でも、声をかけてもらってうれしかったと言われ、

声をかける勇気も必要だと感じました。



私には盲目を感じさせず生活しているように思えても、ハンデがあるのは事実です。

せめて、何もできなくても、点字ブロックの上に障害物となるものを置かないとか。
白杖をもっている方を見かけたら、白杖の妨げにならないようにして欲しいと思います。



一昨年、私の父が脳溢血で倒れ、右半身麻痺になり、今はリハビリの甲斐あって、
自力で歩けるようになりましたが、いつも杖をついています。

杖が無くてもそれなりに歩けますが、もし誰かとぶつかった時、バランスをとれず
転倒してしまうからと。

自分は足が悪いからという目印です。



バスの中で、杖をもっている高齢者がいても席を譲らない世の中。

車椅子専用駐車場に、混んでいるからと、許可無く平気で車を停められる方。。


非常識な人だなと思っても、父が倒れるまでは、あまり気にも止めませんでした。


自分が、その立場になってみないとわからないことって一杯ありますが、

改めて、目線を変えて考えて欲しいと思います。



もちろん、目にみえる障がいだけではありませんが。。。





ちゅーこさんのブログで、「障がい」という言葉についてコメントがありました。
http://chu-chu-chu-ko.blog.so-net.ne.jp/2008-09-01#comments


「障がい」のがいをひらがなにしようという運動があるそうです。

このことは知りませんでしたが、
私は「健常者」という言葉も「障害」という言葉も、好きではありません。


障がいは「害」では無いと思うから。



偉そうなことを言える立場では無いし、どう言ったら伝わるかわかりませんが、

自分が人の助けを必要としないのであれば、


せめて人の迷惑になるような行為はしないで欲しいと思います。


気持ちにゆとりがあるのならば、迷わず手助けしてあげて欲しいと思います。





追記(2008.9.4)
遅ればせながら、調べてみました。

障がいの「がい」の字にひらがなを用いることをきっかけに障がいを持つ方々の幸せを応援する活動
Fプロジェクト http://www.geocities.jp/fumiyo_project/hp.html

FprojectLogo-M.gif

心のバリアフリーの第一歩です。


活動ブログ http://blog.goo.ne.jp/f-project_blog
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脳溢血に倒れて… [経験]

私の父が脳溢血(脳出血)に倒れたのは1年半前の夏でした。

その時、父はまだ59歳の誕生日を迎えたばかり。。

この話を書こうと思いつつ、なかなか記事に出来なかったのは、
内容が暗いということもありますが、私の家族について触れることになるので、
ちょっと躊躇していました。

春だというのに、いまだ気分がのらず、満たされない何かを感じながら、
この記事を書くと、更にどーーーんと、底に落ちそう気がするのですが、
なんとなく、ふれてみることにしました。

重たい内容なので、それでも、と思った方のみ続きをどうぞ。


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7回目の結婚記念日☆ [経験]

先日の8日は夫の誕生日でした。[バースデー]

(なんと、私が愛読しているブロガーのみえまるさんとお誕生日が一緒[わーい(嬉しい顔)]

みえまるさんのブログ http://miemarufumifumi.blog.so-net.ne.jp/2008-03-08


実は、去年、一昨年と夫の誕生日を忘れていた私。[あせあせ(飛び散る汗)]

言い訳するならば、夫は仕事が忙しく毎日のように午前様。
魔の2才児と3歳児とともに常に母子家庭状態で育児ノイローゼ寸前で過ごしていた私。

まだ幼稚園にも入っておらず、曜日や日付の感覚なんて無く、
毎日怒涛の日々を過ごしていた母子三人にとって、
どうせ帰ってこない夫の誕生日なんて…と思っていたわけではないのですが、

素で本当に忘れていました[あせあせ(飛び散る汗)]

なのに、特に怒りもしなければ、さみしがることもなかった夫。


「去年も一昨年も忘れててごめんね。お誕生日おめでとう。乾杯!」[ビール]

と言ったら、「そうだったけ?」と、それすら忘れている夫。


誕生日はこの世に生を受けたこと、育ててくれた親へ感謝し、
無事に年を重ねられたことを喜ぶべき日だと思うのですが…


まぁいっか[わーい(嬉しい顔)]


というか、最近本当に物忘れがひどいらしく、言おうと思ったことが出てこない、
物の名前がわからないという、ボケ状態。[たらーっ(汗)]

おいおい、大丈夫かよ…と思いつつ、おじいちゃん呼ばわりの私(^^;)

そんな夫ですが、(いまのところ)結婚記念日と私の誕生日はちゃんと覚えていてくれます。


そう、、今日は結婚記念日です。[ムード]



人には人それぞれの人生の分岐点というか、分かれ道があって、

結婚もその1つだと思いますが、私は夫にめぐり合えたことに感謝しています。


腹が立つことも多々あるのですが、
きっと私には最良のパートナーだとつくづく思います。

普段は人の話を聞いているんだかいないんだか、頼りにならない夫ですが、
私と価値観が同じというか、押さえるべきところは押さえているというか、

人に対するやさしさがあります。
それは、自分が経験して、人の痛みがわかるようになったからなのかなぁ?と思います。



こんなところで夫のことをカミングアウトするのも何ですが、

夫は高校生の時、友人に裏切られ、引きこもりとなり、そのまま高校を中退してしまったそうです。。

約1年間ひきこもり(今の時代ならこれも鬱と診断されるのかな??)

このままではいけないと思ったらしく、専門学校に通いながら
通信高校で高校卒業の資格を取ったそうです。

ひきこもっている間、ご両親は全てを受け止め、特に何も言わなかったそうですが、

そんな折、お母さんは更年期障害から鬱になったらしく、

当時は話しかけても話を聞いていないような状態だったと話してくれました。


そんなわけで、私の親友が鬱をもっていても特に何も感じないという言い方は変ですが、
私と同じように親友を大事にしてくれます。

私自身、結婚の話をしていた元彼が裏切り、私の友達と結婚したという古傷を持ってまして。。。

社内恋愛なだけに夫もそのことを承知の上で私と付き合い始めてくれました。。



って、昔話をしてどうする。

なんか、わけわからなくなってきたのでこの辺で。[どんっ(衝撃)]


んー・・・っと、夫とめぐり合えたのも縁だし、人生色々ありますが、

悲しみには人をやさしくする力があります。

どんな経験でも乗り越える力にかわると信じて。。


乗り越えるべき山がいつ現れるかわかりませんが、
谷に突き落とされることもあると思いますが、



一緒に歩んで行きたいと思える夫にめぐり合えたことを感謝する1日でありたいと思います。





とりあえず、今日くらいはね。。。
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女の本音 [経験]

「自分さえキレイになれれば!」ってのがやっぱり女の本音ではないでしょうか。
(バナーをはりながらも記事にしてなかったのはそんな本音から??)

30を過ぎ、頬の毛穴が気になる!!!と思うようになったのは32の時でした。

それまで○フィーナを使っていたのですが特にトラブルもなく、としには勝てないんだなぁ。。。
と思っていた頃、たまたまホームエステを始めたという友人の紹介で化粧品を変えました。

変えた途端ニキビの嵐!
その友人はキレイになっていたので、私には合わないんだとは気付かず。。。

たまたまその頃、腰を痛め、整体に通ったりしていたので、そのせいか?
ぐらいに思っていたんです。

でも、ニキビは一向に減る気配もなく、そうこうしているうちに半年が経ち、
父が脳溢血で倒れ危篤状態に。なんとか持ちこたえ4ヶ月の入院の末、退院したのですが、
(この話はいつか記事に書きます。同じような体験をした人の少しでも参考になれば。。)
そんなこともあり、ストレスと環境の変化でニキビが治らないんだと思っていたんです。

そして、友人に薦められた手前、やめたいとも言えず。。。
(結局1年間も高いお金を出し続けました。)

でも、本当にニキビが酷くて、頬やあごラインに常に20箇所くらい出来ている状態だったんです。
鏡を見るのがうんざりで。

ニキビを治す方法をネットで検索していて、そんな時に見つけたのが●アースケア

よく利用者の声とか載ってますが、「やらせでしょ?うさんくさーい」といつもなら流すのですが、
本当に私にとっては深刻だったのと、このページで紹介されている長ったらしいウンチクが
なんだか、信じてみようかという気にさせたんです。
お試しセットが500円だったというのもあって、ダメもとでもいいかと思い。

使った翌朝に違いを感じたのですが、なんと3日でニキビが半分に。
しかも気になっていた小鼻の黒ずみが薄くなるし。うれしい誤算でした!
値段も高くなく、速攻、通常サイズを注文しました。

自分では気付かなかったですが、肌が弱いんですね。
皮膚科でアトピーっぽいとは言われたことがあるんですが。特に困ってなかったので。

でも、よく考えてみれば、冬は肌が感想して粉がふくのが当たり前だし、
ボディーソープを使うと痒くなるので、常に固形石鹸だし。
子供が産まれてからは水仕事が増えたせいか、冬場は指がひび割れし、
雑巾が絞れないくらい、痛くてつらいし。

たまたま悪化しないで生活していただけなんです。

私が友人に薦められた化粧品のように、私に合うからといって、他の方に合うとは限らない。
化粧品を変えるのって勇気がいりますよね。

でも、もしも乾燥肌で悩んでいるとか、何を使っても合わないという方がいたら
よかったら、試してみて下さい。あと、アトピーで悩んでいる方も。

赤ちゃんでも使えるから安心なんです。
子供って私が化粧品使ってると一緒になって使いたがりますが、
これは気にすることなく塗ってあげられます。
子供が唇が乾燥して赤くなっている時にも塗ってあげるし、
蚊に刺された時も塗ってあげてます。
手足口病の発疹にも塗ってあげてました。本当に安心して使えます。

そして、今ではすっかりニキビが出ることもなく、気になっていた毛穴が目立たなくなり、
あんなにひび割れていた手もひび割れなくなりました。
愛用しだしてもうすぐ1年になります。

何より、栃木の実家にいるとき、アトピーの甥っ子が一人で泊まりに来たのですが、
薬を忘れてしまい、「痒くて眠れない~~」と言い出し。

夜も遅く薬を買いに行こうにもお店も開いてないし、どうしようか悩んだ末、私が使っている
アクアテクトゲルを塗ってあげたところ、かゆみがおさまったようでその後は寝てくれたんです。

翌日、義姉が迎えにきて、「薬忘れたから赤くなってるでしょー」とチェックしたところ、
なってなかったんです。アトピーの子にむやみやたらに何か塗るなんてこと
絶対やってはいけないことだと思ったのですが、私はそれくらい信頼できるかなと。

あと、私の友達が泊まりに来た時に使ってもらったのですが、翌日「これどこの??」と聞いたくらい。
その子は普段Dr.○ーラボで、高いから気になるときだけ使ってるらしいのですが、
とっても気に入ってました。

Dr.○ーラボではありませんが、「これ1つでいいんです♪」

育児に追われる私には手っ取り早くて、実はそれが一番の決め手だったかも。。。

また、ネットだと対面しない分、お店の良さって伝わりづらいですが、
アースケアは見えないからこその気遣いがとってもあるんです。
続けてみようという気にさせるお店です。

定期注文にすると割引になるので、今は定期でこんな感じに届くのですが、

毎回季節の何かが1品入っています。物だったり、食べ物だったり。
些細なものなのですが、とっても気持ちが伝わります。
エコロジーな考え方も大好きです。

ちなみに今回は「いもけんぴ」でした。芋堀りで芋三昧の時に芋って。。。と思いましたが
これがまたおいしかったので、今度レポートしまっす♪

あ、気持ちが芋にいってしまいました。

私のこの長い記事の後、アースケアのウンチクを読むのは大変ですが、気になる方、
是非のぞいてみて下さい。

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専業主婦という選択 [経験]

今日は幼稚園の願書配布ですね。

私はこう見えても?プログラマーでした。
かっこよく言うとSE(システムエンジニア)です。でした。(←もう完全に過去形ですね)

長男を妊娠し、育児ノイローゼになる自信があった(^^;)のと、
私は3人兄弟の末っ子、上に兄二人、そんなに裕福な家庭で育ったわけではなく、
母はパートですが、働いていましたが、やりくりに苦労してました。

その頃の夫の給料はお世辞にも良いとは言えず、
やりくり下手な私は夫の給料のみで生活できるかも不安で、
とりあえず1年間育児休暇をとりました。

保育園の募集は1月。
いざ、家に入り、子育てをしてみて、この時には育児ノイローゼとは無縁だったので、
(本当の育児ノイローゼはこのあとやってくるとは知る由も無く)
長男を保育園に入れるか、本当に悩みました。

認可保育園に入るのは難しいと聞いていたので、じゃあ認可保育園に入れたら!
入れなかったらそれを理由に辞めようと応募しました。
現職をもたない母なら認可保育園に入るのは難しいと思いますが、私は育休中。
問題なく入れるようで、他のママが面接で色々言われているような中、あっという間に終わり。

応募した後に次男の妊娠が発覚。(まさしく、実は、予定外でした。)

そして、問題なく、認可保育園合格の通知が。
仕事に復帰しても、またすぐ産休?復帰するだけまわりに迷惑だよなぁと思いつつ、
逆に働ける期間も決まっているし、二人保育園に入れるのは体力的に無理だろうという思いから
次は辞める覚悟で復帰しました。

普通の職場なら、間違いなく迷惑だと思いますが、その点はプログラマー。
単発で仕事ができるので、さほど問題なく。

まぁ、いざ復帰してみたら、9時-17時で働き、長男を保育園に送り迎えし、家事をこなす。
しょっちゅう園から呼び出しの電話が鳴る。(小さいだけにすぐ熱を出す)

半年、半年、そう自分に言い聞かせなかったら、たぶん無理だったと思います。

その後、次男を出産し、わけの分からない1歳半~2歳までの期間、そして魔の2歳突入。
あわせて、夫の仕事が忙しくなり、午前様状態に。

育児ノイローゼ寸前、ノイローゼだったかも?
虐待のニュースが流れるたびに明日はわが身だと思ってました。

ちなみに、夫もプログラマー、SEです。
(会社のシステム部門なので、仕事には波があり、
ソフト会社に勤めているような方よりはましな方だと思いますが)

もと、社内恋愛、同じ部門。状況は察しがつきます。
これで仕事を理解していなかったら、きっと毎日午前様を理解できず、
離婚していたんじゃないかと思いますが。

育児ノイローゼ寸前だった時は働いた方がマシだと思いました。
夫も、早く帰宅できない状況で、私がおかしくなっている姿を見て、
働くことを仕方ないと思ったくらいです。

(たぶん夫は長男を保育園に入れてまで働いて欲しくなかったんだと思います。
 二人目が出来れば働くのは無理だろうという策略が。。。だからある意味計画的です。)
 
それでも働かなかったのは、きっと保育園に入れた経験があったから。

園からもらった卒園アルバムじゃないですけど、半年間の長男の姿が。
見て、涙がでました。

私が知らない長男がそこに。(それは成長すれば当たり前のことですが)
 
  
次男をみていて思ったこと。

かわいい。

そして、その期間は本当に短いってこと。
 
  

忘れない出来事も1つ。
園でケガをして指を2針縫いました。小さいから縫った方が治りも早いし良いからと。
泣き叫ぶ長男の声を処置室の外で聞くだけだった時。
その時は本当に後悔しました。その時点で辞めようと思ったくらい。

でも、園に行き、長男がケガをした場所を確認し、仕方ないことだとわかり、
あと3ヶ月と自分に言い聞かせ続けました。

おきてしまったことは仕方ありません。
預けるからには園との信頼関係も大事です。

ですが、こんな小さな、言葉もままならない長男を保育園に入れてしまったことの後悔。

そんな思いがあったからこそ、
今はちょっと貧乏でも専業主婦でもいいと思っています。
 
 

あと、幼稚園でも、2年保育か3年保育か悩むところですが、
長男は4月生まれなので3年保育でも迷いは無かったですが、次男は9月生まれなので、
やはり、4歳になる誕生日までという約束でバス通園ですがお迎えに行ってました。
バス待ちが1時間あり、その時間が嫌だというのと給食が食べられなくて。
でも、兄がいる幼稚園、喜んで通っています。

そして4歳になると違います。
言いたいことも言えるようになるし、色々できるようになります。

病気もあまりしなくなりますが、やはり風邪などで突発で休んだり。
せっかく息子たちが通う園はお預かりとかあるのですが、
やっぱり働くのは無理ですね。結局利用したこともなく。

働くからには、同居してるとか実家が近いとか。
夫の協力がやっぱり一番大事ですよね。
  
 
そんなわけで、幼稚園とか保育園とか、迷っている方も多いと思いますが、
専業主婦という選択もありだと思って頂ければと。
 
   
ちなみに、私は仕事大好きでしたが、だからこそパソコン嫌いです。
使うことは容易ですが、仕事以外でまでパソコン見たくないと思ってました。
ブログを始めたのは夫のすすめ。
せっかく時間ができたんだから、働けなくても仕事っぽいことすればって。
アフィリエイトで稼げばって、そんな簡単に稼げるわけないじゃん!!!

なので、更新することも容易ですが、ブログを更新する意味を自問自答中。
でも、コメントとか、見てくれる人がいるのは嬉しいですよね。
みんなそうなのかな。。。


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