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反抗期という嵐がさった高校1年生と、受験という佳境に入った中学3年生の息子。
そして我が家の癒しである小学4年生の末娘。今を大切に、更新はボチボチ頑張ります[ー(長音記号2)]

脳溢血に倒れて… [経験]

私の父が脳溢血(脳出血)に倒れたのは1年半前の夏でした。

その時、父はまだ59歳の誕生日を迎えたばかり。。

この話を書こうと思いつつ、なかなか記事に出来なかったのは、
内容が暗いということもありますが、私の家族について触れることになるので、
ちょっと躊躇していました。

春だというのに、いまだ気分がのらず、満たされない何かを感じながら、
この記事を書くと、更にどーーーんと、底に落ちそう気がするのですが、
なんとなく、ふれてみることにしました。

その日は、夏休みの週末で私たちはソレイユの丘で遊んでいました。

3時を過ぎ、そろそろ帰ろうかと思っていた時に母から携帯に電話がありました。


母が仕事から帰ってみると、父が倒れており、母ははじめ、寝ていると思ったそうですが、
様子がおかしく、起こしてみると、目を覚ましたものの、話かけても父からは言葉が出ず、
起き上がることも出来ず。

何か違うと察した母は救急車を呼んだそうです。
某脳神経外科病院に運ばれ、今は検査をしているんだけど、すぐ来て欲しいと。


よりによって、こんな時に横須賀にいる自分。
道はすいていたものの到着するまでの1時間あまり、私は色々なことが頭をよぎりました。

そして、病院に着くと、ちょうど手術室に入るところでした。


話しかける私を見ようともせず、父は上の空でそのまま手術室に入っていきました。



脳出血で、手術は2~3時間と言われましたが、待合室で4時間近く待っている間、
母と色々な話をしました。


私の父は、家庭をかえりみず、亭主関白で、昔はよく母にも暴力をふるっていました。
いつも夫婦喧嘩しているような状況で、私は家にいるのが大嫌いでした。

そんな父も年とともに暴力をふるうこともなくなり、だいぶ温和になってはいましたが、
倒れた時、私は父とは喧嘩して、1年近く会っていませんでした。

喧嘩した内容は些細なことで、母に対することや、私の子育てについてでした。



最後に喧嘩別れしたまま、もしこのまま父が逝ってしまったら?
そんなことばかりが頭をよぎり、大嫌いな父の文句を言ったり、
それでも、もしものことがあったら、無事手術が終わっても記憶がなかったら??

そんなことを話ながら、涙を流したり。


待っている時間がとても長く感じました。


無事手術は終わり、麻酔が効いているので今日は話は出来ないと言われ、
ICUに入って顔だけ見て、その日は帰りました。。

翌日、目を開けるものの反応は無く、まだ手術してすぐだからと母と帰ったのですが、
3日目にはICUを出て病棟に移りました。


その時点で右半身麻痺、言語障害が残っているだろうと言われ、
本来ならすぐリハビリを始めるそうですが、父は糖尿と高血圧から合併症を併発し、

高熱が続き、意識が朦朧としたまま、
話かけても時おり目をあけて「あぁ…」と弱々しく返事をするだけ、

そんな危篤状態が1ヶ月続きました。


いつ何があってもおかしくない。

そう言われてから、20日くらい経った時、気道に痰がつまり、窒息しかけ、
喉にチューブが入れられました。

お見舞いに行っても目を開けるだけ、喉にチューブを入れられ、更に声を出すことも出来ず、

食事もとれずやせ細っていく父を毎日見舞い、


私は父に謝ることもできないまま、話もできないまま、私のことがわかっているのかも
わからないまま、逝ってしまうんじゃないかと、ふと一人になると考えては涙が出ました。

今でもその時のことを思い出し、こうして記事にしていると涙が出てきます。


あんなに大嫌いだった父が小さく見えました。


私と母は見舞うと身体を拭いてあげ、動かない右手、右足をマッサージしました。
寝ている間に筋肉が凝り固まってしまわないようにと。


私には兄がいます。

一番上の兄は結婚して子供も二人、仕事がら新潟に移り住んで十数年経ちます。
父と合わず、喧嘩ばかりで、危篤状態でも来ませんでした。

兄は事業を起こしたばかりで忙しく、来れる状況じゃなかったということと、折り合いの悪い兄が来て
悪化するんじゃないかと、母が来る事をとめたからなのですが。。。


そして、もう一人、兄がいます。
二番目の兄は独身でバスの運転手をしています。
運転していて動揺しては困るからと、休みを見はからって連絡し、後日かけつけました。

もちろん、二番目の兄も父が嫌いです。

私と同じ頃、父と喧嘩し、やはり1年近く会っていませんでした。



私の家族はそんな感じで、お話するにはあまりにも恥ずかしく。。



でも、父が倒れ、兄も休みのたびに見舞っては意識の無い父にマッサージをしてあげていました。



私は、兄がいてよかった、、、その時、初めてそう思いました。

父を見舞い、一人の母を気遣い、私一人だったら、たぶん潰れてしまっていたと思います。

もちろん、夫も支えてくれましたが、こんな時は本当に兄弟の有難みを感じました。


同じ境遇で育ち、父と母をわかるのは、やはり子供の私たち兄弟だけですから。



貧乏だったし、一人っ子だったら。。なんて、よく思いましたが、

親と子の相性ももちろんありますが、
子供は、兄弟は少ないよりは多い方がいいと感じました。


折り合いの悪い一番上の兄は可愛そうなのですが。。。



ちょっと話はそれますが、子供には愛情を注げば、注いだだけかえってくると私は思います。
見返りという意味ではなく、愛情は伝わるものだと思います。


誠意は伝わるように。


そして、子供が欲しくても恵まれない方も多くいますが、産むことが可能なのであれば
一人っ子ではなくて、兄弟をつくってあげて欲しいと思います。

子供の世話にはならない、なりたくないと思ってはいますが、そうはいっても
いざと言うとき、親が年をとった時、頼れる身内はやはり兄弟ですから。。。


と、中途半端ですが、今日はこの辺で。
続きはまた今度。。。

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じょりー

涙が出てきました。
momomoさんやお兄様の気持ち、よく分かります。
父親に対する、嫌悪感は、そう簡単には消えませんよね。
ただ、こうしてお父様が倒れたのも、悲しいことではあるけど
神様が、そうしたように思えてなりません。
お父様が悪いことをしたから病気になられたとか、
そういう意味ではないんです。うまく言葉では現せられないんだけど…。
いくら確執があっても、弱く小さくなっていく親を見ると
悲しくてたまりませんよね。

by じょりー (2008-04-15 08:16) 

みえまる

私もなんだか泣きそうになりました。
そんなことがあったんですね・・・1年半前ってついこの前のこと。
momomoさん、大変な思いをされましたね・・・
いまは、お父様もこのときよりもお元気になられているのかしら・・・
そのままお別れにならなかったことは、きっと神様がくれたチャンスの
ようにも思えます。
うちの旦那も、脳出血で倒れた実の父を未だ見舞ってもいません。
 
書いたり消したりを繰り返してなんだかよくわからないコメントですが(苦笑)
momomoさん、、、大丈夫ですか?
プールの底にあるボールを潜って取ったあと、教えてもないのに底を力強く
蹴って勢いよく水面に上がってくるんですよ、、、娘の話ね(笑) 
あとは地面を蹴って浮上するのみ! お互い頑張りましょ♪
by みえまる (2008-04-15 09:13) 

momomo

じょりーさん、ありがとうございます。
ちょっと、あまりにも暗い話なので、niceとコメントを出来ないようにした方がいいかと思ったら、すでにじょりーさんのお言葉がありました。
たぶん、平和な家庭で育った方には伝わらない内容ですよね。。
じょりーさんだからこそ、たぶん、この気持ちはわかっていただけていると感じます。。。
ちなみに父は健在です。
あの時、あのまま逝ってしまわなかったのは、父への、私たち家族への試練だと思っています。
父は障害が残っていますが、あのまま逝ってしまわなくて良かったと思っています。
by momomo (2008-04-15 09:17) 

momomo

あら、ニアミスですね。。
みえまるさん、どどーんと暗い所にありがとうございます。
旦那さまも、やはり色々おありなんですね。。。
人生山あり谷ありです。
いやいや、ほんと、暗いこと書いてると更に暗くなりますが、話を完結して浮上しようかと思います。
みえまるさん、気分が暗い時は読まないで下さいね~。
お互い、何かをつかんで一気に浮上しましょう!!!


by momomo (2008-04-15 09:24) 

甘党大王

この季節は危険なんですね。
私の父も朝、玄関で倒れ救急車で運ばれたのが一昨年の夏でした。
大腸癌の手術後一年?しかたっていないのに・・・また?
家も?コメントでは書け無いくらい「渡る世間は・・・」していますからmomomoさんの気持ち痛いほど分かります。
でも、自分が不幸だと凹むのでは無く、どんな事も良い方に転じる為の
きっかけだと受け止めたいものです。
ピンチは本当にチャンスなんです(#^.^#)
兄弟の大切さも再確認ですよね♡ わたしは二人の妹がいますが
二人とも異母姉妹です。でも、欲しくて欲しくて仕方無かった妹です。
今でもとっても仲が良いんです。父の入院の時には本当に
家族の大切さ再確認出来ました。
momomoさんも頑張ってくださいね\(~o~)/
by 甘党大王 (2008-04-15 12:23) 

hidejii

自分は20数年前脳腫瘍が見つかり 手術をしましたが その当時 技術がまだなく ほんの一部をとっただけで 今も 頭の中に腫瘍があります 今 その 後遺症と闘っています 
自分が入院していたときも まわりに 半身麻痺の人もいました でも 一生懸命リハビリを続けていまいた 
脳出血で自分を治療してくれた 先生はなくなりました
命が助かったのなら これから 本人のがんばりしだいだと思います

兄弟がいるのはいいですね 自分一人なので おとどし 母親が入院したときは 正直 一人悩みました 
兄弟仲良く がんばってください
by hidejii (2008-04-15 21:13) 

momomo

甘党大王さん、ありがとうございます。
いつも3姉妹との楽しく幸せなブログを書かれているので、正直、甘党大王さんから、お言葉を頂けるなんて、思ってもみませんでした。
皆さん、色々あるんですね。。。自分だけじゃないと救われます。
父が倒れる3ヶ月前、私にとっては祖母のような存在だった叔母が大腸癌の手術をしました。嫌なことが続くときってありますよね。
でも、大変な時にでも一筋の光はさしているんだと感じました。
どんな経験でも今の私があるのはその経験のおかげだと思うし、得るものが必ずあると思います!!

hidejiiさん、ありがとうございます。
後遺症の原因…、辛い話をさせてしまって申し訳ないです。
でも、前向きに頑張っておられるhidejiiさんを感じました!!
命が助かったのは、まだやるべきことがあるということですよね。
父も少しずつですが、頑張って、よくなってきてはいます。

兄弟でも、友人でも、いざというとき、ささえてくれる大切な人がいることってとても幸せなことなんですよね。。
hidejiiさんにも良いパートナーが見つかるといいですね!
by momomo (2008-04-16 09:33) 

こすずめ

momomoさん 大変だったですね。私も父が嫌いでした。家庭を顧みず仕事ばかり 亭主関白で 他人から自分がどう見えるかばかりを気にしてる人だったから。はやく家をでたいって思ってた。兄がいますがこの兄とも折り合いが悪かったわたし。だから 優しく 相談しあえるお兄さんがいるmomomoさんがうらやましいな。
でも そんな複雑な思いがあっても たった一人の親で やはり愛があるんだろうね。きっと私もそういう場面に父がなったら いままでのこと許せそうな気がする。
はやくお体よくなるといいね。
by こすずめ (2008-04-17 09:24) 

momomo

こすずめさん、ありがとうございます。
毎年帰省されてて、家族を大事にしているこすずめさん、意外でした。。
私たちの親の時代は亭主関白な方が多いのかもしれませんね。
外面ばかりよくて、そんな父にそっくりな一番上の兄。だから折り合いも悪く、私もあまり好きじゃありません。二番目の兄とは今は話をしますが、大人になってからかなぁ。いつもバラバラな家族でした。
でも、自分が親になって子供を育てる苦労がわかり、小さい頃、父に遊んでもらった記憶や、兄弟仲良く遊んでいた時代があります。
大嫌いだったけど、嫌なことばかりじゃなかったなぁと、思い出します。
悔しいけど、父似だなぁって思うところがあるし。
やはり両親あっての私ですから。
うちは父が倒れて、家族の視点が変わりましたが、そんなことが無くても変われるといいですね!
by momomo (2008-04-17 09:55) 

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