反抗期という嵐がさった高校1年生と、受験という佳境に入った中学3年生の息子。
そして我が家の癒しである小学4年生の末娘。今を大切に、更新はボチボチ頑張ります
くうねるあそぶ-遊ぶ- [経験]
さて、最後に一番難しい「遊び」について。
あくまでも私なりの考えであって、少々長くなりますがお付き合い頂ける方はどうぞ。。
と、まずはじめに「学び」について考えてみたいと思います。
巷には色々な「学び」がありますが、胎教から始まり、早期教育の教材やら教室が多数。
少子化とは相反して、少子化だからこそか?親の心理をついた勧誘がたくさんあります。
私も長男が生まれ、某教材を1歳児向けコースから2年ほどとっていましたが、あまりにも
遊ばない玩具やワークが溜まる一方だったので、他社のドリルだけを2社ほど1年づつ。
他にも英語教材を1年ほど試しました。
でも、我が子に教えるのは難しい
しかも、子供が二人となると教える内容も違うし、個別に時間を確保することも間々ならず、
在宅学習は私には無理だと、4年目にようやく気付きやめました
5~6歳の時期、長男が年長さんになってからの1年は教材はとりませんでした。
小学生になったら考えようと思いましたが、息子達が通う小学校は宿題が多かったので、
それ以上に勉強をさせようという気にはならず、今も特に教材はとっていませんが、
時々長男は宿題をやりたがらず、プリントの間違いを指摘すると「ほっといて」と言う始末。
「ほっておいてやるよ、お前の面倒は見ない、うちの子じゃなくていいから出て行け」
となるわけですが、その度に思うんです。
私が勉強をみることは子供にとって逆効果なだけなのかと。
そもそも何のために勉強するのか?
もちろん、少しでも就職に有利なように少しでも良い学校へ進学して欲しいと思うわけです。
なんだかんだ言っても、まだまだ学歴社会。
私自身高卒なので、大卒の方との扱いの違いに悔しい思いをしました。
でも、子供が学校の範囲で学び、中学、高校を目指す時に将来を考え学力が必要だと感じ
自らが学びたいと思ってからでも遅くないんじゃないかって。
もちろん、子供は勉強よりも遊ぶ方が良いでしょうから、勉強をさせるからには動機付けや
親のサポートが必要だと思います。
でも、それまでに必要なことは、思う存分遊ぶこと。
大人が介入しないところで友達と遊ぶことで社会性を学び、課題を与えられないことで
自ら考える力が育つと思うんです。
遊びの中から達成感を得たり、失敗から工夫することを学んだり、体を動かすことでバランスや
身をもって危険を感じ、怪我から痛みを知ると思うんです。
お友達と喧嘩したり、何か問題が発生した時に解決する力が必要だったり。
幼稚園児くらいだと一緒に遊んでいるように見えても各々が好きな玩具で遊んでいるだけとか
まだ親や保育者の目の届く範囲で何をして遊ぼうと提案され夢中になることはあっても、自ら
考え、仲間とうまくやっていく力は弱いと感じます。
だから「外遊び」が大事で、繰り返し遊ぶことで知識と共に考える力が養われていく。
遊びから学ぶ
小学生になると親が公園へついていくわけではないですから、友達と何をして遊ぼうとか、
「遊び力」がどれだけあるかが試されるわけです。
息子達も6~7歳くらいまでは「つまんないから帰ってきた」と言うことも多かったですが、
最近は出て行ったら暗くなるまで帰ってきません。
遊びに尽きることなく友達とうまくやっていると思えば嬉しい限りです
お友達と遊ぶ貴重な時間は限られているから、我が家の優先順位は外遊び>宿題。
だって幼稚園の頃と違って小学生になると机に座らされている時間の方が長いわけです。
学校で勉強して、帰っても勉強だったら、それは仕事から帰った夫に仕事しろって言うのと
同じだと思いませんか?
私は 生きる力 = 遊ぶ力 だと思うんです。
良い学校へ行くことも、良い会社に就職することもゴールでは無い。
社会に出て、学歴があっても「できない人」になるなら、学歴がなくても「できる人」であって
欲しい。でも、その違いは遊びの中からそなわる考える力だと思うんです。
そして人生を楽しむ力も、小さい頃から養われるであろう遊ぶ力だと思うんです。
目先の早期教育にはしりがちですが、それは子供にとって今必要な勉強なのか。
実は親の満足の為だったりしませんか?
今は学校できちんと勉強してくれれば、後は遊びで良いと思っています。
遊びが充実していれば学校でも授業をきちんと受けることが出来ると思うから。
貴重な小学校低学年の間は思いっきり遊んで欲しい。
「9歳の壁」と絶対学力 いきいきニコラ子供の教育より
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/9sainokabe.html
糸山泰造著「絶対学力」は読みましたが、高濱正伸著「算数脳」と同様の内容だったかと。
私の中では特に心に響くことはなく、本を持っていないのでうろ覚えですが
でも、こちらで書かれていることには共感できます。
いきいきニコラ 子供の教育 http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/index.html
と、これは小学生の息子達の話。
末娘に関しては、今は全てが遊びであり学びです。
家には息子達の教材や玩具がたんまりとありますが、某教材のビデオは見せていません。
今は必要の無いものだとわかるから。
洗脳するかのごとくビデオで教わらなくても日常体験で覚えれば良い事なんです。
そのためにはやっぱり「外遊び」が大事
公園に行けば自分より小さい子も大きい子もいるし、順番を守ること、玩具を貸したり借りたり。
時には手を出されたり、出してもダメだと教えることができる。
色々な子がいることを知り、苦手な子はうまく避ける術を学ぶこともできる。
ママ同士の付き合いも考え方が同じ人ばかりではないので正直疲れます。
でも、人は一人では生きていけないように、いくつになっても人間関係はつきものなわけで、
だからこそ小さいうちから色々な人と出会い世渡り上手になって欲しいと思うわけです。
「遊び」を考えた時、そこには必ず「学び」があるんです
でもテレビやビデオを見ること、ゲーム機で遊ぶことは「遊び」にはならない。
もちろん、得るものが何も無いわけではありませんが、外遊びから得られるもの以上のことは
得られないと思っています。
百聞は一見にしかず、五感をフルに使って、身をもって感じることが大事だと。
なんて、偉そうなことは言えず息子達はゲーム大好きだし、2歳児コースから卒園するまで
幼児教室にも通っていました。
末娘も1歳時コースから通っていますが、この教室は遊びから学ぶスタイルで楽しみながら
学ぶことが出来ているから。
遊びから学ぶ
週1回の教室でしたが、息子達は入学前には五十音に一桁の計算は問題なくできました。
もちろん、教室での成果もありますが、家でも遊びに組み入れる工夫をしました。
小学校入学までは教材なんかに頼らなくても、日々の生活の中できちんと子供と向き合い
遊んでいれば自然と身につくことばかりだと、今はわかります。
そして、外遊びだけすればよいわけではなくて、バックグランドにあるのは「親の愛」だと。
自分を受け入れてくれる、愛されていると思うからこそ、子供は自分を信じて親元を離れられ
自分の世界をつくっていくことができるんだと思えるようになりました。
一緒に遊び、一緒に学ぶ。
「外遊び」も大事だし、「親子で遊ぶ」ことから得られるであろう絆も大事。
だから「遊び」も大事なんです。
と、ここまで書きましたが、自信も説得力もありません。
私自身、まだまだ「学び」の途中だし、子供達も「遊び」の途中であって、わからないから。
「食べること」「寝ること」に関しては身をもって感じているし、成果を感じることも出来ますが、
「遊ぶこと」に関しては終わりはないと思うんです。
子供達が自立した後、夫の定年後、自分の遊び力が試される時でもあるし、子供たちが
人生を楽しめる人に育っているかは今はわからないから。
でも、思い切り遊べばお腹が空くし、ご飯が美味しく食べられて、よく眠れるのは確か
くうねるあそぶ
生きていくうえで大切なこと。
今回、遊びについての記事を書くにあたって、何度も加筆修正を繰り返しました。
あくまでも私の考えであって、思うことがうまく伝えられているかどうかわかりませんが。。
今の私があるのは、ダメだと言わず何でもやらせてくれ、見守ってくれた母の愛と
おいしい手料理のおかげだと思っています。
あえてコメントとniceをあけてみようと思いました。
もしかしたら今までに読んだ育児本の受け売りになっているかもしれないし、当たり前のことを、
と言われれば、それで良いと思います。もし間違っていると思うなら率直にコメントを頂きたいし。
でも、捉え方によってはヘビーな内容なのでコメントを望んでいるわけではありません。
ただ、自分が育った次代より明らかに遊ぶ時間も場所も奪われている子供達。
本当の意味での遊びの大切さを少しでも多くの人に考えて欲しいと思うから見て欲しい。
一般主婦の意見で世の中が変わるとは思えないけど、
少しでも子供たちが安心して自由に遊べる場が増えて欲しいと思うから。
私が子供達にできること。
あくまでも私なりの考えであって、少々長くなりますがお付き合い頂ける方はどうぞ。。
と、まずはじめに「学び」について考えてみたいと思います。
巷には色々な「学び」がありますが、胎教から始まり、早期教育の教材やら教室が多数。
少子化とは相反して、少子化だからこそか?親の心理をついた勧誘がたくさんあります。
私も長男が生まれ、某教材を1歳児向けコースから2年ほどとっていましたが、あまりにも
遊ばない玩具やワークが溜まる一方だったので、他社のドリルだけを2社ほど1年づつ。
他にも英語教材を1年ほど試しました。
でも、我が子に教えるのは難しい
しかも、子供が二人となると教える内容も違うし、個別に時間を確保することも間々ならず、
在宅学習は私には無理だと、4年目にようやく気付きやめました
5~6歳の時期、長男が年長さんになってからの1年は教材はとりませんでした。
小学生になったら考えようと思いましたが、息子達が通う小学校は宿題が多かったので、
それ以上に勉強をさせようという気にはならず、今も特に教材はとっていませんが、
時々長男は宿題をやりたがらず、プリントの間違いを指摘すると「ほっといて」と言う始末。
「ほっておいてやるよ、お前の面倒は見ない、うちの子じゃなくていいから出て行け」
となるわけですが、その度に思うんです。
私が勉強をみることは子供にとって逆効果なだけなのかと。
そもそも何のために勉強するのか?
もちろん、少しでも就職に有利なように少しでも良い学校へ進学して欲しいと思うわけです。
なんだかんだ言っても、まだまだ学歴社会。
私自身高卒なので、大卒の方との扱いの違いに悔しい思いをしました。
でも、子供が学校の範囲で学び、中学、高校を目指す時に将来を考え学力が必要だと感じ
自らが学びたいと思ってからでも遅くないんじゃないかって。
もちろん、子供は勉強よりも遊ぶ方が良いでしょうから、勉強をさせるからには動機付けや
親のサポートが必要だと思います。
でも、それまでに必要なことは、思う存分遊ぶこと。
大人が介入しないところで友達と遊ぶことで社会性を学び、課題を与えられないことで
自ら考える力が育つと思うんです。
遊びの中から達成感を得たり、失敗から工夫することを学んだり、体を動かすことでバランスや
身をもって危険を感じ、怪我から痛みを知ると思うんです。
お友達と喧嘩したり、何か問題が発生した時に解決する力が必要だったり。
幼稚園児くらいだと一緒に遊んでいるように見えても各々が好きな玩具で遊んでいるだけとか
まだ親や保育者の目の届く範囲で何をして遊ぼうと提案され夢中になることはあっても、自ら
考え、仲間とうまくやっていく力は弱いと感じます。
だから「外遊び」が大事で、繰り返し遊ぶことで知識と共に考える力が養われていく。
遊びから学ぶ
小学生になると親が公園へついていくわけではないですから、友達と何をして遊ぼうとか、
「遊び力」がどれだけあるかが試されるわけです。
息子達も6~7歳くらいまでは「つまんないから帰ってきた」と言うことも多かったですが、
最近は出て行ったら暗くなるまで帰ってきません。
遊びに尽きることなく友達とうまくやっていると思えば嬉しい限りです
お友達と遊ぶ貴重な時間は限られているから、我が家の優先順位は外遊び>宿題。
だって幼稚園の頃と違って小学生になると机に座らされている時間の方が長いわけです。
学校で勉強して、帰っても勉強だったら、それは仕事から帰った夫に仕事しろって言うのと
同じだと思いませんか?
私は 生きる力 = 遊ぶ力 だと思うんです。
良い学校へ行くことも、良い会社に就職することもゴールでは無い。
社会に出て、学歴があっても「できない人」になるなら、学歴がなくても「できる人」であって
欲しい。でも、その違いは遊びの中からそなわる考える力だと思うんです。
そして人生を楽しむ力も、小さい頃から養われるであろう遊ぶ力だと思うんです。
目先の早期教育にはしりがちですが、それは子供にとって今必要な勉強なのか。
実は親の満足の為だったりしませんか?
今は学校できちんと勉強してくれれば、後は遊びで良いと思っています。
遊びが充実していれば学校でも授業をきちんと受けることが出来ると思うから。
貴重な小学校低学年の間は思いっきり遊んで欲しい。
「9歳の壁」と絶対学力 いきいきニコラ子供の教育より
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/9sainokabe.html
糸山泰造著「絶対学力」は読みましたが、高濱正伸著「算数脳」と同様の内容だったかと。
私の中では特に心に響くことはなく、本を持っていないのでうろ覚えですが
でも、こちらで書かれていることには共感できます。
いきいきニコラ 子供の教育 http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/index.html
と、これは小学生の息子達の話。
末娘に関しては、今は全てが遊びであり学びです。
家には息子達の教材や玩具がたんまりとありますが、某教材のビデオは見せていません。
今は必要の無いものだとわかるから。
洗脳するかのごとくビデオで教わらなくても日常体験で覚えれば良い事なんです。
そのためにはやっぱり「外遊び」が大事
公園に行けば自分より小さい子も大きい子もいるし、順番を守ること、玩具を貸したり借りたり。
時には手を出されたり、出してもダメだと教えることができる。
色々な子がいることを知り、苦手な子はうまく避ける術を学ぶこともできる。
ママ同士の付き合いも考え方が同じ人ばかりではないので正直疲れます。
でも、人は一人では生きていけないように、いくつになっても人間関係はつきものなわけで、
だからこそ小さいうちから色々な人と出会い世渡り上手になって欲しいと思うわけです。
「遊び」を考えた時、そこには必ず「学び」があるんです
でもテレビやビデオを見ること、ゲーム機で遊ぶことは「遊び」にはならない。
もちろん、得るものが何も無いわけではありませんが、外遊びから得られるもの以上のことは
得られないと思っています。
百聞は一見にしかず、五感をフルに使って、身をもって感じることが大事だと。
なんて、偉そうなことは言えず息子達はゲーム大好きだし、2歳児コースから卒園するまで
幼児教室にも通っていました。
末娘も1歳時コースから通っていますが、この教室は遊びから学ぶスタイルで楽しみながら
学ぶことが出来ているから。
遊びから学ぶ
週1回の教室でしたが、息子達は入学前には五十音に一桁の計算は問題なくできました。
もちろん、教室での成果もありますが、家でも遊びに組み入れる工夫をしました。
小学校入学までは教材なんかに頼らなくても、日々の生活の中できちんと子供と向き合い
遊んでいれば自然と身につくことばかりだと、今はわかります。
そして、外遊びだけすればよいわけではなくて、バックグランドにあるのは「親の愛」だと。
自分を受け入れてくれる、愛されていると思うからこそ、子供は自分を信じて親元を離れられ
自分の世界をつくっていくことができるんだと思えるようになりました。
一緒に遊び、一緒に学ぶ。
「外遊び」も大事だし、「親子で遊ぶ」ことから得られるであろう絆も大事。
だから「遊び」も大事なんです。
と、ここまで書きましたが、自信も説得力もありません。
私自身、まだまだ「学び」の途中だし、子供達も「遊び」の途中であって、わからないから。
「食べること」「寝ること」に関しては身をもって感じているし、成果を感じることも出来ますが、
「遊ぶこと」に関しては終わりはないと思うんです。
子供達が自立した後、夫の定年後、自分の遊び力が試される時でもあるし、子供たちが
人生を楽しめる人に育っているかは今はわからないから。
でも、思い切り遊べばお腹が空くし、ご飯が美味しく食べられて、よく眠れるのは確か
くうねるあそぶ
生きていくうえで大切なこと。
今回、遊びについての記事を書くにあたって、何度も加筆修正を繰り返しました。
あくまでも私の考えであって、思うことがうまく伝えられているかどうかわかりませんが。。
今の私があるのは、ダメだと言わず何でもやらせてくれ、見守ってくれた母の愛と
おいしい手料理のおかげだと思っています。
あえてコメントとniceをあけてみようと思いました。
もしかしたら今までに読んだ育児本の受け売りになっているかもしれないし、当たり前のことを、
と言われれば、それで良いと思います。もし間違っていると思うなら率直にコメントを頂きたいし。
でも、捉え方によってはヘビーな内容なのでコメントを望んでいるわけではありません。
ただ、自分が育った次代より明らかに遊ぶ時間も場所も奪われている子供達。
本当の意味での遊びの大切さを少しでも多くの人に考えて欲しいと思うから見て欲しい。
一般主婦の意見で世の中が変わるとは思えないけど、
少しでも子供たちが安心して自由に遊べる場が増えて欲しいと思うから。
私が子供達にできること。