反抗期という嵐がさった高校1年生と、受験という佳境に入った中学3年生の息子。
そして我が家の癒しである小学4年生の末娘。今を大切に、更新はボチボチ頑張ります
kioku [独り言]
私の両親は青森出身で、祖父母と合うのは夏休みくらい。
そんな私にとって祖母のような存在だった吉祥寺の
って書いていて、たった今「叔母」じゃないと気づきました。
「伯母」が正解でした。母の12歳年上のお姉さんです。
伯母=父母の姉
叔母=父母の妹
いやぁ、35歳にして今頃気づきましたよ
おっと、話しがそれました。
一昨年、69歳で大腸ガンの手術をしましたが、肺に転移し又手術することとなりました。
26日に入院し、27日に手術。。
したばかりだというのに、昨日、急遽明日退院するからと連絡がありました
いくらなんでも早すぎるでしょ
と思ったのですが、その病院は長く居られないようです。
そんなわけで、あまりにも急すぎて、すでに休みを取って見舞っている母は、
半期決算時でまた休むには厳しく。
独身の伯母ですから、他に行く人がいません。
「一人で大丈夫だから!お腹大きいんだから来なくていいから」と断られたのですが、
行って来ました。
なのに!!
退院時間が早まり、伯母とは行き違い。
結局、一人病院を後にし、伯母の家に行くことになりました。
うちの実家や外で会うことはあっても、伯母の家に行くのは実に20年ぶりでした。
小さい頃は電車に乗ってよく行きましたが、物心付いてからは年に1回行くかどうか。
駅から徒歩10分くらいなのですが、道を覚えているか不安でした。
でも、不思議なもので、建物などは新しくなっているんですけど、覚えているものですね。
20年経った今でもその道のりを歩くことが出来ました。
その帰り、私を駅に送って行くからと。
傷口がまだ傷むだろうから、私こそ一人で大丈夫だからと言ったのに、結局駅までついてきました。
そして、駅までの道、伯母が私の小さい頃の思い出を話してくれました。
そんなこと言ったのかなぁ?と思うようなことや、このお店によく来たねと言うのですが、
覚えてない
でも、遊びに行くと、いつも駅の改札まで送ってくれ、ずっと手を振ってくれていたのを
思い出しました。
今日も改札でずっと手をふってくれていました。
なんだか涙が出そうになりました。
人の記憶って、本当に曖昧だけど、大切なことは覚えているものですね。
それに、私が覚えていなくても伯母はうれしそうに覚えていてくれて。
きっと、子供の視点と大人の視点では違うんだろうけど、
大人になった今、今日のこの日を忘れることはないと思いました。
伯母の手術も無事終わったし、行楽の秋です
今週末は運動会、来週の秋休みには、早々に次男の七五三を予定。
お芋掘りに幼稚園のバザーとイベント盛りだくさんです
がんばるぞ~